何でこんなに好きなんだろう…。

自分がどんどん醜くなっていく。女じゃなくなるみたい。 そんな時に彼と会った。 決して許される事はない。でも失いたくない。ごめんなさい…。

10歳の誕生日おめでとう🎊

私がパーキンソン病と診断されて今日でちょうど10年になります。


あの日別れていいよ…と泣く私を黙って抱きしめてくれた主人。


お休みの日はなるべく時間を作って私を外に連れ出してくれる子供達。


感謝しかない。


この10年・本当に色々な事があった。早かったなぁー。ただ毎日ひたすらだった。


でも一つ言えることは悪い事ばかりではなかったという事。きっと病気にならなかったら私は自分中心の傲慢で我儘な女でしかなかっただろう。でも病気になって自分一人では出来ない事だらけ。


ありがとう😊


ごめんなさい🙏


この2つは人としてきちんと伝えなくてはならない言葉。


娘が先日


私は可哀想と言う言葉が一番嫌い。可哀想と言う言葉はその人を自分より下に見た言い方だから。


涙が出た。こんな風に成長してくれたんだ。きっと私といて色んな想いがあったんだろうな。


どれもパーキンソン病にならなかったら分からなかった事。


そしてこの病気になったから貴方に会えた。

優しい主人と優しい子供達…ふざけたおばさんだと思われても仕方がない。

でも同じ病気で同じ悩みを持った彼が私の中を占領していく。


パーキンソン病の10歳の誕生日に聞いてみた。


今まで聞けなかった事…聞いてもいいですか?

私は貴方にとってどんな存在なのですか?


既読スルー…かと思った。

LINEで送ったのにショートメールに返信が来た。


愛する女性ですが・人妻です…。


嬉しくて泣いた。


会いたいと言って泣いた。何故か彼も泣いていた。

母の死…②

お母さんは胃癌です。見つける事が難しい場所…胃の裏の胃壁に出来ていてスキルス性の胃癌で進行が早く既に転移して腹水が溜まった状態です。手術はもう出来ません。1ヶ月持つかどうか分かりません。本人に告知するかどうかは家族で話し合って下さい。


父親は私の横で号泣していた。


私は…何を言っているのか分からなかった。


診察室を出て父親は即入院になった母親の病室に行こうとする。


私は母親の病室に行く事は出来なかった。


車に乗って直ぐに涙が溢れてきた。声を上げて泣いた。すれ違う車の人が気付く程泣いて…頭がおかしくなりそうだった。


そのまま上の子供を預けていた叔母の家へ。親族はもう集まっていた。


ここまでの記憶は鮮明なのに…ここから先1週間自分が何を話しどう過ごしたのか全く記憶が無い。


母親がこの世から居なくなる…受け入れられない現実だった。

母の死…①

私の中でパーキンソン病の原因になったと思う出来事は?と聞かれるとやはり…


母の死


と答えるだろう。


あの日の事は鮮明に覚えている。


最近・痛み止めをいくら飲んでも効かないんよね。


あの時・どれくらい飲んでいるのか聞いていれば…今は変わったのだろうか?


その頃・母は1日1箱市販の痛み止めを服用していた。


その2日後・私の2人目の妊娠が分かる。


母親は喜び次の日には


お母さん体調が悪いし今月末で仕事辞めることにしたから。お母さんが2人目の子供の世話をするから貴女は働きなさい。


と明日にでも産まれるかの様な決断をして帰った。


そしてまたその2日後…お母さんのお腹の方があんたより先に大きくなったわ。ガスでも溜まってるんかな?明日病院行って来るから。


脳天気な事を言っていた母親。かかりつけのお医者さんは急いで大きな病院で診てもらいなさいと。後からの話だとそのかかりつけのお医者さんはもう半年ほど前から母親に胃カメラを飲む事を勧めていたとか…。


胃カメラを飲んだその日の夕方・私の家の電話が鳴った。


お母さんの検査結果の件で先生からお話があります。お母さんが緊急の連絡先を娘さんのお家にされていたみたいで。もし連絡が取れるならお父さんも一緒に。


嫌な予感しかしなかった。すぐに父親の職場に連絡し・病院で待ち合わせた。


その数分後・私は絶望とはこういう事なんだと…母親の死の宣告を受ける事になる。